物語ること、生きること。

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あこがれのさき

 

 

 

 あこがれのさき

 

 

 

 人魚は、鳥のことをうらやましく思っていました。自由にどこまでも飛んでいける翼を持っていたからです。

 人魚の暮らす海は、美しく、暖かく、すべてを受け入れてくれる母のような存在でした。人魚は、海のことを愛しています。

 そして魚やエビ、カニ、貝など、友だちもたくさんいるため、決して海での生活に不満があるわけではありませんでした。

 ただ、ふと海から顔を出して空を見上げたときに、どこまでも飛んでいく鳥を見て、自分もあのように自由に空を飛び、いろんな景色を見てみたいと思うのでした。

 

 天使は、魚のことをうらやましく思っていました。母なる海の中で暮らすことができるからです。

 天使は、自分で自由に飛ぶことのできる翼を持っています。空はどこまでも続いており、空から見る景色は美しく、天使は、空を飛ぶことを愛しています。

 そして、誰も自分を縛ることのない自由な暮らしでしたので、その暮らしに不満があるわけではありませんでした。

 ただ、嵐がやってきたときや、寒い冬の日にひとりでいると、海の中で守られている魚たちを想像し、自分も海で暮らしてみたいと思うのでした。

 

 ある日、人魚は岩の上に座り、ひとりで空を見上げていました。空は青く高く澄み渡っています。あの空を自由に飛べたなら、どんなに気持ちの良いことだろうと想像していました。すると、今までに見たことがないほどの大きな翼を持つ少女がこちらに近づいてくるのを見つけました。

 

 ある日、天使は海を見ながら、空を飛んでいました。海は太陽を反射してきらきらと輝いています。あの海の中で暮らせたのなら、どんなに安心するだろうと想像していました。すると、岩の上に体の半分が魚である少女を見つけました。

 

 そうして、人魚と天使は、初めて出会いました。

 

 人魚は、天使に出会った瞬間に強烈な憧れを抱きました。

 天使もまた、人魚に出会った瞬間に強烈な憧れを抱きました。

 守られているために縛られている人魚は自由であることに憧れ、自由であるために孤独な天使は守られることに憧れていたのです。

 

 ふたりは、いろいろなことを話しました。海の中での生活、空での生活、うれしいこと、しあわせなこと、つらいこと……。

 お互いに足りないものを持っているふたりは、お互いに一番の理解者でした。

 

 ふたりは別れ際に、それぞれ自分の一部を交換しました。人魚は天使に、自分の七色に輝くうろこの一枚を。天使は人魚に、真っ白に光る翼の一枚を。

 そうして、また会うことを約束して、ふたりは別れたのでした。

 

 そのあと、ふたりは何度も何度も会い、そのたびにうろこと翼を交換していました。

 

 人魚は、天使からもらった翼の数を数えていました。翼がたくさん集まったら、自分も飛べるような気がしていたのです。そんな人魚の様子を見た魚は、

「人魚は人魚以外の何物にもなれないんだよ。翼がたくさんあったって、翼は生えていないんだ。空を飛べるはずがないだろう」

と笑いました。

 

 天使も、人魚からもらったうろこの数を数えていました。うろこがたくさん集まったら、自分も海の中で暮らせる気がしていたのです。そんな天使の様子を見た鳥は、

「もしかして、魚になりたいのかい? 無理無理。天使は天使でしかないんだよ。それに、うろこがいくらあったって、君は海の中で息ができないだろ」

と、呆れたように言いました。

 

 ふたりは、考え込んでしまいました。お互いはお互いになりたいのに、人魚は人魚でしかなく、天使は天使でしかないというのです。

 ふたりは、ずっと考えました。ならば、私たちはどうすればいいのだろう、と。どのように生きていけばいいのだろう、と。

 

 ふたりは次に会ったとき、うろこと翼を返し合いました。

 

「本当は、空を飛んでみたいけれど、どうやらそれは無理みたいね。翼をたくさん集めても、私が人魚であることは変えられないみたい」

「そうね。私も海で暮らしてみたいけれど、空で暮らす天使であることを変えられないわ」

 

 ふたりは、自分以外のものになることは無理なのだと、ようやく気づいたのでした。

 

「私、ずっと考えて、思ったことがあるの」

 天使が、人魚に切り出しました。

「私が憧れるあなたが、私の空での生活に憧れているのなら、きっと空での生活も、何にも変えられない素晴らしいものなのよ」

「そうかもしれないわ」

 人魚も、天使に話します。

「私たちはお互いに、ないものが欲しかっただけなのよ。持っていないものは、素晴らしく見えるものだわ。当たり前のものの素晴らしさには、なかなか気づかないけれど」

 

 ふたりは、今の自分の暮らしを愛しているのだと思い出しました。

 

 お互いがお互いになりたいと思わなくなってからも、ふたりは友だちでありました。

 時たま、ふたりで話すのです。

 海の中での暮らしの話と、空での暮らしの話を。

 でも、もううろこと翼を交換しようとはしません。

 人魚はこれからもずっと人魚で、天使はこれからもずっと天使であるのですから。