物語ること、生きること。

好きなものごとあれこれ。

私は、私を認めてあげる。

2015年は、たぶん、人生で1番たくさん、「変わった」があった年でした。

広島から上京した。
大学に入学した。
引きこもりだったのに週6で学校に行くようになった。
休みの日は家にいる派だったのに、常に外にいるようになった。
サークルに入った。
彼氏ができた。
人見知りをしなくなった。
大好きなアイドルに執着しなくなった。

他にも、挙げたらきりがないくらいたくさんたくさん。




3年前の私は、光がまったくない場所にいて、息をしているだけで精一杯。そんな状態でした。

将来が不安で仕方なかったし、高校に行かなくなっちゃって、ちゃんとした大学に入れるのかなって怯えてた。

明日が来ることが怖いから、寝てしまうことも怖かった。


そんな、3年前の私に教えてあげたい。

3年後の私は、毎日とっても幸せで、「はっぴーお花畑くそ野郎」って言われるくらい毎日笑ってるよって。

ただ、お花畑野郎なのは認めるけどくそではない。


光が見えない場所から、ちょっとずつちょっとずつ、ぼんやり灯りの見える方へ進んで、やっと、明るい場所に出られました。


そういえば、大学に通いはじめる直前はさ、引きこもりがいきなり学校に毎日通えるのかなってさ、すごく不安だったなあ。


でも、通いだしてみたら、「あれ?私、毎日楽しく通えてるじゃん」って。


友だちもできて、サークルにも入って。


なんとなく選んだサークルだったけど、運がよかった。私にすごく合っていた。

私、大学に入って1番良かったことは?って聞かれたら、このサークルに入れたことって言うくらい、サークルが大好きなんです。

人見知りで、自分の意見なんて全然言えなかったのに。それも先輩になんて。

サークルでは、人前に立つ役割を「やりたい」って立候補したり、先輩に自分の意見を伝えたり、企画の話し合いに積極的に参加したり。

そんな積み重ねで、先輩にかわいがってもらえて。

すごくすごく、幸せだなあと思います。


夏休みもさ、バイトしてないのに、予定入ってない日が2、3日ってくらい予定ぎゅうぎゅうだったんです。

サークルの活動と、サークルの人たちと遊ぶのとで。

それまでは、長期休暇って言ったら、たまーに外に出るくらいで、あとは家でごろごろしてたのにな。


そういえば、人生で初めて彼氏ができたのも今年の夏です。

好きな人に、すきって言って、受け止めてもらえるってすごく幸せなんだなって思いました。


この頃からかなあ。
自分のこと、嫌いだって考えることがなくなっていったの。

人と関われば関わるほど、自分で言うのもおかしいけど、周りの人に愛されていることを実感して、
私は、だめな子じゃないんだ、いいところもきっとたくさんあるんだって思えるようになりました。

サークルの先輩が引退したのは悲しくて、ぼろぼろ泣きました。
引退する3日前くらいから、布団の中で泣いてて、やっぱり追いコンではぼろぼろ泣きました。

うちのサークルでは、引退する先輩から後輩へ、メッセージ入りのノートを渡す慣例があります。

そのメッセージも、私へ書いてくれた先輩が多くて、同期にびっくりされるくらいいっぱい書いてあって、嬉しくてまた泣きました。

サークルも先輩も、大好きだから、たくさん関わっていたくて、関わっていられることが嬉しいからずっとにこにこしてて。

そんなところを、ちゃんと見てくださってて。

1番大好きな先輩には、「君ともっと一緒に活動したかった」って言ってもらえて。

ああ、幸せだなあと実感しました。


引退しても、その1番大好きな先輩に、ごはんに誘ってもらえたりして、ほんとにちょうちょう嬉しいの!

初めて大役をやるときに、その先輩と一緒にできて、前に立って指揮するときも、初めてのときはその先輩と2人でやった。

初めて1人でやるときは、引退したあとなのに、がんばれって言ってくれた。

そんな、大好きな大好きな先輩と、こんな風に関わっていられるの、嬉しいなあ。



周りの人に、恵まれてるなって思います。



本当に、東京に出てきて、性格も、人付き合いも、生活習慣も変わりました。

東京に出てきて、絶対的によかった!

都会は苦手だと思っていたけれど、東京はなんだか風通しがよくて、今までよりもずっと楽に息ができている気がします。

よかったね、私。




2015年の目標は、
「自分のことを好きになりたい」
自己肯定感を高めることでした。


私、自分のことが好きです。


この言葉を心の底から言えること、私にとっては本当に大きな変化で、涙が出るくらい嬉しいんです。


ずっとずっと、自分のこと、嫌いだった。
どうしても自分を認めてあげられなかった。

でももう、そんなことないよ。

私は、私を認めてあげる。



3年前の私は、きっと信じられないだろうけど、
3年後の私は、毎日幸せしかないよ。



「いつもにこにこしてるよね」


泣いてしかなかった私だけど、そんな風に言ってもらえる日がくるよ。



そんな、たくさんの「変わった」があった、きっと私にとって大きな転換期の、2015年の振り返りでした。



アイドルに執着しなくなった話は、またこんど。


冬の朝

『1番好きな時間帯』

冬の朝の、刺すような空気が好き。

胸いっぱいに吸い込むと、涙が出そうになるくらい鋭くて、痛いほど透明な、そんな冬の朝の空気が、どうしようもなく好きだと思う。

透明すぎて、その空気の中では嘘なんて見透かされそう。ほんとのことしか、見えない気がする。

冬の朝の空気で満たされたら、前の夜、ベッドの中でうじうじ考えてたことが全部ぜろになって、全部リセットされる。
全部リセットされて、残るのはきっと、自分にとって大切なことだけで、そして、大切なことが見えると、途端に自分が愛おしくなる。


そんな、痛いのに優しい冬の朝が好き。



ーー「あなたの話を聞かせて」企画

かわいくなりたい症候群

『自分の中にある綺麗になりたい願望』


夜、不意に思い出したように、「かわいくなりたい症候群!」とつぶやくことがある。

かわいくなりたい。きれいになりたい。

きっと、みんな大きさの違いはあれど、その願望を抱えていると思う。

私は自分の容姿が好きではないので、常にその願望が胸の底に漂っている。
時たま、その願望が上に顔を出すことがあって、猛烈にかわいくなりたいと思う瞬間がある。

私はそれを「かわいくなりたい症候群」と呼んでいて、そしてその願望は、ある意味美しさを孕んだものであると思う。

「自分のことを好きになりたい」という願望と同じ種類の、美しさ。

自分は完璧でなくて、どこか欠けていて、だからこそその欠けた部分を埋めたい、埋めたい、という願望。

欠けたものにこそある、美しさ。



私は、かわいくなりたいし、きれいになりたいけれど、でも、この顔のまま生きていきたい。

だから、世の中の「かわいい」だったり、「きれい」だったりの基準が変わってしまえば良い!という、ある意味とても傲慢なことを考えている。

私は私の顔が好きではないけれど、でも、やっぱり好きなので、私の顔にかわいいの基準が合えば良い。きれいの基準が合えば良い。

そう考えると、「かわいくなりたい」「きれいになりたい」という願望イコール、変わりたいという願望、ではないんだろうな。

だから、メイクをがんばるし、だから、肌のお手入れをがんばるし、だから、スタイルを良くしようとダイエットをするんだろう。

自分の力の範囲で、かわいくなりたいし、きれいになりたい。

そんな願望を、美しいと思う。


きっと、私でない誰かが、「かわいくなりたい症候群!」とつぶやいたら、私はたまらなく美しく、そしてたまらなく愛おしいと感じる。



ーー「あなたの話を聞かせて」企画