物語ること、生きること。

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かわいくなりたい症候群

『自分の中にある綺麗になりたい願望』


夜、不意に思い出したように、「かわいくなりたい症候群!」とつぶやくことがある。

かわいくなりたい。きれいになりたい。

きっと、みんな大きさの違いはあれど、その願望を抱えていると思う。

私は自分の容姿が好きではないので、常にその願望が胸の底に漂っている。
時たま、その願望が上に顔を出すことがあって、猛烈にかわいくなりたいと思う瞬間がある。

私はそれを「かわいくなりたい症候群」と呼んでいて、そしてその願望は、ある意味美しさを孕んだものであると思う。

「自分のことを好きになりたい」という願望と同じ種類の、美しさ。

自分は完璧でなくて、どこか欠けていて、だからこそその欠けた部分を埋めたい、埋めたい、という願望。

欠けたものにこそある、美しさ。



私は、かわいくなりたいし、きれいになりたいけれど、でも、この顔のまま生きていきたい。

だから、世の中の「かわいい」だったり、「きれい」だったりの基準が変わってしまえば良い!という、ある意味とても傲慢なことを考えている。

私は私の顔が好きではないけれど、でも、やっぱり好きなので、私の顔にかわいいの基準が合えば良い。きれいの基準が合えば良い。

そう考えると、「かわいくなりたい」「きれいになりたい」という願望イコール、変わりたいという願望、ではないんだろうな。

だから、メイクをがんばるし、だから、肌のお手入れをがんばるし、だから、スタイルを良くしようとダイエットをするんだろう。

自分の力の範囲で、かわいくなりたいし、きれいになりたい。

そんな願望を、美しいと思う。


きっと、私でない誰かが、「かわいくなりたい症候群!」とつぶやいたら、私はたまらなく美しく、そしてたまらなく愛おしいと感じる。



ーー「あなたの話を聞かせて」企画